きれい汚い?トリトヌス(tritonus)

1970年代、「イ・ムジチ合奏団」のヴィヴァルデイの「四季」がヒットしてからバロック音楽はBGM的に聴かれるようになりましたが、実はバロック音楽にはとても劇的な要素があって、ただきれいなだけの音楽ではないのです。
このバッハの「Air」ももちろんそういう要素を持っています。

この曲は2小節単位のかたまりになっています。
前半、繰り返し記号までは、2+2+2の3つのセクション(6小節)、後半は、3つのセクションが2つ(6小節+6小節)と考えられます。つまり、全体では3つのセクションが3つ。3という数字が鍵になるそうです。

当時、レトリック(修辞学ー雄弁術)という、演説とか文章を書くときの、うまく人に伝えるための伝統的な方法があったのですが、バロック時代にはそれを積極的に音楽に取り入れました。
最初に打ち出した意見があって、次にそれを打ち消す反対意見(反証)があって、それをさらに打ち消す。反証の反証をすると、強い肯定になるという考え方があったのですが、そんな構造がこの曲の中でもみられます。

最初の、1,2小節はテーマ。透明な澄んだ世界です。次の3,4小節はそれに影を落とします。1,2小節に対しての反証です。そして、5,6小節目はそれを打ち破るかのように、明るい感じにもどしてきます。そうすると、1,2小節目で出たテーマが壮大な形で肯定される、という感じで前半は閉じます。これは典型的なレトリックです。これから練習する後半も、もしかしたら最初の6小節は前半部の反証かもしれません。

この反証というのは、音楽の中では、安定しているところで不安定な要素を持ってくる、それに対して、また安定感のようなものとか、位置エネルギーの高いものをもってくる、というようなことであらわしています。そして、この不安定の要素をあらわすものが、隠し味的に使われている不協和音です。例えば、1,2小節の澄んだ世界から、3小節目で悲劇的なことが起こりますが、ここは1拍目の裏で、トリトヌス(三全音)が2つ作られています(減七)。トリトヌスというのは、初期ポリフォニー音楽では「悪魔の音程」として避けられたもので、当時の人たちにとってはとても不快な響きの音でした。今の人たちが平均律的な音程として聞いてもそれほど汚いと感じる音ではなく、むしろ、素敵!と思うかもしれませんが、当時の人にとってはストレスの強い、汚い響きの音だったのです。
この響きが緊張感をあらわし、悲劇性を作るのです。そしてそれをなぐさめるようなためいきのモティーフをつかった3,4小節目の対話。安定感を持ちながら高い位置で始まる5小節目、ここにあらわれる水平音程のトリトヌス(G♯ーD)が落下のエネルギーを増幅させ、1stのシュライファー、そして、シュンコパツィオに強い必然性をもたらしています。そして、もとの清澄な世界にもどりつつ、一層の輝きがもたらされているのです。

たった6小節でもこれだけのドラマがあるのです。バッハが想定した和音の構成を読み取り、この曲をつくったことで生まれてくる世界に身を置くことで日常では得られない快感を得ることができると思います。
ちょっとした不協和の響きを見逃すと、バロック音楽は本来の存在感を失う恐れがあるので、みんなでそれを感じながら弾いていくことが大切です。

後半、8小節目にも、3小節めと同じハーモニーが3拍目に出てきます。実際にぶつかっている音を出してみて、その汚い?響きを記憶しながら演奏してみました。
「いいですねー。きれいに響きましたね。」と言ってから、「あぁ、きれいって言っちゃいけないんだ。汚いですねー・・・・・・・それも変だな。なんて言えばいいんだ。むずかしいなー」と苦笑いの指揮者。
今風に2つの要素をくっつけて、「きれい汚い?」
なんか決まらないけど、その場にいたメンバーのみなさんは、この「きれい汚い」響きを感じることができましたよね。
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by michinokuhitori | 2007-06-13 22:58
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