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装飾はフランス式

バッハの「Air」に加えて、同じギターの変則調弦でアレンジした「メヌエット」(BWV1066/5-6)の楽譜が渡されました。
きょうは、楽譜を配ったばかりなので、とりあえず弾き方の確認をしました。

「メヌエットⅠ」はギター5人中、3人がピチカート(実はファゴット奏法)、2人が実音です。ピチカートはオリジナルではバロックファゴットです。ブレンドすることで新しい感じが出せることを期待しています。
マンドリン属は、4分音符、8分音符、16分音符がピッキング、2分音符はトレモロ。(付点4分音符は音を出してみてから決める予定です)

「メヌエットⅡ」はスラーがついているところはトレモロ、ないところはピッキング。アーティキュレーションを少しオーバーに表現したいと思います。

8分音符が出てきた時には基本的にデタシェ(<分離して>という意味)。管楽器だとタンギングをはっきりするような感じです。撥弦楽器でやるのは難しいのですが、なんとかそこを表情をつけてやれるようにするとスラーとの区別がつくと思います。
4分音符や8分音符のレガートとデタシェの区別を、どのくらいマンドリンアンサンブルの中で生み出すことができるのかということが、表情を生み出していく上での勝負になります。今まであまりこういう練習をする機会がなかったので、この機会に取り組んで腕を上げてください。

マンドリンパートに装飾音符がたくさん出てきますが、この装飾はフランス式です。
当時、フランス音楽とイタリア音楽はまったく違っていて、どちらがきれいかなどど論争になったこともあるそうですが、バロックの初期、中期あたりまでは、フランスとイタリアがバロック音楽に花を開かせていました。装飾音符の弾き方も、フランスとイタリアではまったく違っていたのです。
バッハ、ヘンデル、テレマンはみんなドイツなので、バロック音楽というとドイツというイメージがあるかもしれませんが、ドイツは後進国。
ですからドイツは、イタリアとフランスの良いところをとりいれた混合様式です。トリルはフランス様式をバッハはそのままもってきています。基本的にフランス式は上からかかり,最低1回がルール。
最初の引っかかりのトリルというのは、アッポジャトゥーラ(前打音)。アクセントがかかる非和声音で、この引っ掛かりが重要です。ここでバスの中で何かの音とぶつかります。はみ出て緊張のある音が最初強調されるというのが、フランスバロック、ドイツバロックのトリルです。バッハをやるときは原則としては非和声音だという意識があることが大切です。

トリルは、1、引っかかり(アッポジャトゥーラ)
      2、飾り
      3、締めくくり(後打音)
という3つの部分に分かれて構成されます。指がうまくいかないときや、時間がないときは後ろのほうから省略されます。速いものは締めくくりの音が入れられない。もっと時間がないときは飾りを省いてもいい。最低引っかかりが必要。最悪の場合は、全て無し!でもあり得ます。
この曲は中庸のテンポの曲なので、トリルは優雅な感じで弾いてください。あまり高速のトリルにならないように。


後半は、バッハの「Air」を練習しました。
今までに何度もお話していますが、「Air」は2小節セットです。(ちなみにメヌエットも2小節セットです)
きょうは、楽譜に2小節ごとに区切りを入れてみて、2小節ごとに次のブロックに入るという意識を持って弾いてみました。
この2小節というのは、主に調性です。調性が何に属しているのかということで表情が変わっている、というように考えられます。調というのは、この時代の音楽には重要です。バロック音楽の始まりというのが調性の確立されたところです。バッハは、150年続いたバロック音楽の最後のところの人で、バッハによって可能性も限界点も出してしまったようなところがあります。
調をどう当てはめるかということがバロック音楽にとっては重要で、それを感じていかないといけないので、2小節間同じ調にいる(途中で変わるところもあるかもしれませんが)ということで、何かを感じて、感じたなりに音を出してみるということが大切です。
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by michinokuhitori | 2007-06-27 16:22

きれい汚い?トリトヌス(tritonus)

1970年代、「イ・ムジチ合奏団」のヴィヴァルデイの「四季」がヒットしてからバロック音楽はBGM的に聴かれるようになりましたが、実はバロック音楽にはとても劇的な要素があって、ただきれいなだけの音楽ではないのです。
このバッハの「Air」ももちろんそういう要素を持っています。

この曲は2小節単位のかたまりになっています。
前半、繰り返し記号までは、2+2+2の3つのセクション(6小節)、後半は、3つのセクションが2つ(6小節+6小節)と考えられます。つまり、全体では3つのセクションが3つ。3という数字が鍵になるそうです。

当時、レトリック(修辞学ー雄弁術)という、演説とか文章を書くときの、うまく人に伝えるための伝統的な方法があったのですが、バロック時代にはそれを積極的に音楽に取り入れました。
最初に打ち出した意見があって、次にそれを打ち消す反対意見(反証)があって、それをさらに打ち消す。反証の反証をすると、強い肯定になるという考え方があったのですが、そんな構造がこの曲の中でもみられます。

最初の、1,2小節はテーマ。透明な澄んだ世界です。次の3,4小節はそれに影を落とします。1,2小節に対しての反証です。そして、5,6小節目はそれを打ち破るかのように、明るい感じにもどしてきます。そうすると、1,2小節目で出たテーマが壮大な形で肯定される、という感じで前半は閉じます。これは典型的なレトリックです。これから練習する後半も、もしかしたら最初の6小節は前半部の反証かもしれません。

この反証というのは、音楽の中では、安定しているところで不安定な要素を持ってくる、それに対して、また安定感のようなものとか、位置エネルギーの高いものをもってくる、というようなことであらわしています。そして、この不安定の要素をあらわすものが、隠し味的に使われている不協和音です。例えば、1,2小節の澄んだ世界から、3小節目で悲劇的なことが起こりますが、ここは1拍目の裏で、トリトヌス(三全音)が2つ作られています(減七)。トリトヌスというのは、初期ポリフォニー音楽では「悪魔の音程」として避けられたもので、当時の人たちにとってはとても不快な響きの音でした。今の人たちが平均律的な音程として聞いてもそれほど汚いと感じる音ではなく、むしろ、素敵!と思うかもしれませんが、当時の人にとってはストレスの強い、汚い響きの音だったのです。
この響きが緊張感をあらわし、悲劇性を作るのです。そしてそれをなぐさめるようなためいきのモティーフをつかった3,4小節目の対話。安定感を持ちながら高い位置で始まる5小節目、ここにあらわれる水平音程のトリトヌス(G♯ーD)が落下のエネルギーを増幅させ、1stのシュライファー、そして、シュンコパツィオに強い必然性をもたらしています。そして、もとの清澄な世界にもどりつつ、一層の輝きがもたらされているのです。

たった6小節でもこれだけのドラマがあるのです。バッハが想定した和音の構成を読み取り、この曲をつくったことで生まれてくる世界に身を置くことで日常では得られない快感を得ることができると思います。
ちょっとした不協和の響きを見逃すと、バロック音楽は本来の存在感を失う恐れがあるので、みんなでそれを感じながら弾いていくことが大切です。

後半、8小節目にも、3小節めと同じハーモニーが3拍目に出てきます。実際にぶつかっている音を出してみて、その汚い?響きを記憶しながら演奏してみました。
「いいですねー。きれいに響きましたね。」と言ってから、「あぁ、きれいって言っちゃいけないんだ。汚いですねー・・・・・・・それも変だな。なんて言えばいいんだ。むずかしいなー」と苦笑いの指揮者。
今風に2つの要素をくっつけて、「きれい汚い?」
なんか決まらないけど、その場にいたメンバーのみなさんは、この「きれい汚い」響きを感じることができましたよね。
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by michinokuhitori | 2007-06-13 22:58

インプレッション

~プリマヴェーラ 顧問より~


この前の日曜日にプリマヴェーラの練習を見学に行きました。
顧問とは名ばかりで花見や忘年会のホスト役ばかりでしたが、今回初めて練習をじっくり見学させてもらいました。おかげで、この会の進むべき方向性が見えてきたように思います。
もちろんリスナーとしての立場からの感想ですが。

まず、アマチュア団体は同好の士が集まって始まることが多いので、なにより楽しい活動が一番となる傾向があり、実際に青森や弘前にそういった団体が数多くあります。

しかし、プリマヴェーラは、その名にアンサンブル研究会とつけていることからもわかるとおり、従来のそういった活動に飽き足りない人達が集まって、アンサンブルとはなにか、より良い演奏は何かを知るべくスタートしました。そういう意味からすると、N先生が楽譜に込められた作曲者の意図を汲み取り、それをいかに演奏として表現するかを解説されるのは非常に理にかなっているわけです。そしてメンバーはそれを実際の演奏を通して表現してゆくことが求められています。(余談ですが、私などはそのスコアリーディングにお金を払ってでも受講したいと思ったほどです。)
そして実際、その日バッハの『Air』が1時間弱の練習で見違えるほど命の通った演奏になりました。これは従来のサークルではなかなか味わえない醍醐味でしょう。

このような練習を積み重ねて行き、自然と機が熟して演奏会、あるいは研究発表会にてその成果を問うというのが、理想ではないでしょうか?毎年やって来る定期演奏会のためだけに(場合によってはその当日だけ)練習して舞台に上がるというのは、どの団体でも大した労力なしにやれます。実際そういう団体がいかに多いことか。
確かに目標(演奏会)は励みになります。しかし、演奏会がなければ練習できないというのであれば、本末転倒でしょう。そして、プリマヴェーラがそのレベルにとどまるなら、アンサンブル研究会の名に反し、存在意義がなくなるように思います。

今回練習を見学して、顧問としてはメンバーの方々のアンサンブルとしての実力が練習によって確実に向上しているのを感じて頼もしく思うと同時に、会の初心を忘れることなく、さらに一層の精進を経て、演奏会あるいは研究発表会、そして演奏記録をCDに残していただきたいと切に願っています。
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by michinokuhitori | 2007-06-06 09:57